「入院している親の手が、ベッド柵にひもで縛られていた」
面会にいらしたご家族から、驚きと戸惑いの声を聞くことがあります。身体拘束——点滴を抜いてしまわないように手を縛る、ベッドから転落しないように体幹をベルトで固定するといった行為は、今も多くの病院で行われています。
一方で、医学的な研究の蓄積は、身体拘束に期待されてきた効果が実は証明されておらず、むしろ拘束によって新たな健康被害が増えるという、逆説的な結果を示しています。
この記事では、身体拘束を巡る医学的なエビデンスと、日本の医療現場が抱える人員不足という現実の両方を踏まえ、内科医の立場から今の状況と今後の理想像を解説します。

結論:拘束自体はなくすべき。しかし、なくせない事情も存在
- 身体拘束が事故を防ぐという効果は科学的に実証されておらず、むしろ合併症を増やすという報告が多数ある
- それでも拘束が続く背景には、日本の病院の深刻な人手不足という現実がある
- 2024年度の診療報酬改定で、身体拘束の最小化が病院の制度上の義務になった
- 理想は「拘束ゼロ」だが、そのためにはマンパワーの拡充と、拘束に代わる具体的な手段の普及が同時に必要
身体拘束はなぜ行われてきたのか
医療現場が身体拘束を行ってきた理由は、決して悪意によるものではありません。主に以下のような目的で正当化されてきました。
- 点滴・胃管・尿道カテーテルなど、治療に必要な管を誤って抜いてしまうことの防止
- ベッドや車椅子からの転倒・転落の予防
- 興奮した患者からスタッフを守るための安全確保
- 治療の継続
いずれも一見もっともな理由に思えます。しかし、これらの効果を証明したランダム化比較試験(信頼性の高い臨床研究)は、実は一つも存在しません。
身体拘束の「本当のところ」:蓄積されたデータの結果、効果より害が上回る
米国老年医学会(American Geriatrics Society)は、せん妄(一時的な意識の混乱)のある高齢入院患者への対応として、身体拘束を使用しないよう明確に推奨しています。
拘束によってむしろ増える合併症
研究の蓄積からは、身体拘束が「防ぐはずだったこと」自体を、逆に増やしてしまうという結果が繰り返し報告されています。
| 領域 | 報告されている悪化 |
| 身体面 | 計画外の管抜去がかえって増加/深部静脈血栓症・肺塞栓症/誤嚥性肺炎/褥瘡/筋力低下/窒息・死亡事故 |
| 精神・認知面 | せん妄の悪化/恐怖・怒り・無力感/心的外傷後ストレス障害(PTSD)の発生率25〜47%という報告 |
| 治療経過 | 入院期間の延長/鎮静薬・向精神薬の使用増加/リハビリの遅れ |
「拘束すれば安全」という直感とは裏腹に、拘束された患者の4人に1人以上が、心的外傷後ストレス障害に相当する精神的な傷を負うという報告さえあります。

それでも拘束がなくならない、日本の医療現場の現実
ここまで読むと、「では今すぐ拘束をやめればいいのでは」と思われるかもしれません。
しかし、内科医として実際の病棟を見てきた立場から言うと、現実はそう単純ではありません。
身体拘束が減らない最大の理由は、医療者の意識の問題ではなく、根本的な「人手不足」という構造的な制約にあります。
「代替手段」には人手が必要という根本的な問題
身体拘束をやめる代わりに推奨されている対応策を見ると、そのほとんどが「人がそばにいること」を前提にしています。
- 頻回な見回り・1対1に近い観察
- 点滴中や不穏な時間帯に、看護師が付き添う
- 興奮の兆候が出た時点で、すぐに声をかけ落ち着かせる
- 家族に頻繁に面会に来てもらい、安心感を提供する
日本の病棟の看護配置は、法律上「入院患者7人に対し看護職員1人以上」(いわゆる7対1看護)が最も手厚い基準です。
しかもこれは大学病院や急性期の総合病院に限られた基準であり、すべての病院がこの水準にあるわけではありません。
さらに、この「7対1」は日勤・夜勤を通じた24時間の平均で満たせばよい計算方式のため、実際の夜間帯には、より少ない人数で1つの病棟全体(40〜50床程度)を見ていることが一般的です。
せん妄で興奮しやすい深夜帯に、複数の患者に1対1の付き添いを行うことは、現実の人員配置では不可能といえるでしょう。
つまり、「拘束をやめるべき」というエビデンスと、「やめるための代替手段を実行するマンパワーが不足している」という現場の現実が、正面から衝突しているのが日本の病院の実態です。
数字で見る、看護師不足の深刻さ
この「人手不足」は、感覚的な話ではなく、国の統計にも明確に表れています。
- 厚生労働省の推計では、2025年時点で看護職員が最大27万人不足する可能性があるとされています
- 看護師・准看護師の有効求人倍率は、過去5年間一貫して2倍以上で推移しており、求人に対して応募者が半数以下しか集まらない状態が続いています
- 特に都市部(首都圏・関西圏など)で不足が顕著になると予測されており、地域による偏在も課題です
この不足数は、急性期病棟だけでなく在宅医療・介護施設も含めた全体の推計ですが、「その他の勤務先という選択肢が広がるほど、病棟に人が集まりにくくなる」という形で、身体拘束の代替手段に必要な人手の確保をさらに難しくしています。
人員を急に増やすことが難しい理由
「それなら看護師をもっと採用すればよいのでは」と思われるかもしれませんが、これも簡単ではありません。
- そもそも応募してくる人材が不足している:前述の通り求人倍率が2倍以上のため、採用したくても人が集まらない状態が続いています
- 病院の収入は主に診療報酬で決まっている:一般企業のように利益に応じて自由に人件費を増やせる構造ではなく、看護職員を1人増やすには、その分の人件費を診療報酬という限られた収入の中でやりくりする必要があります
- 医療費全体を抑える方向の政策が続いている:高齢化に伴い社会保障費が膨らむ中、国の医療費全体を抑制する方向性は今後も続くと見られており、病院が独自の判断だけで大幅な増員に踏み切ることは容易ではありません
つまり、「人を増やせば解決する」という単純な話ではなく、増やしたくても増やせる人材自体が不足し、かつ増員のための原資も限られているという、二重の制約が存在しています。
この構造が変わらない限り、身体拘束を「今すぐ全面的にやめる」ことは、多くの病院にとって現実的に困難な選択と言わざるを得ません。
【2024年度〜】制度としての転換点:診療報酬改定
この状況を変えるべく、日本でも制度面での大きな動きがありました。
2024年度の診療報酬改定で、入院料の基本ルールの中に「身体的拘束最小化の基準」が新たに盛り込まれました。具体的には、各病院に以下が義務付けられています。
- 身体的拘束を最小化するための指針を作成し、職員に周知すること
- 身体的拘束最小化のための委員会を設置すること
- 関係する職員への定期的な研修を実施すること
この基準を満たせない病院は、入院基本料が1日につき減額される(当初40点減算、2026年度改定ではさらに段階的な減算・厳格化が予定)という、経営に直結するルールになりました。
「望ましい」という努力目標ではなく、診療報酬という病院経営の生命線に関わる制度上の義務にまで格上げされたことが、この数年の大きな変化です。
一見とても良いことですが、、、
非常に残念な点として、「対策を立てたところ→加点」ではなく、「対策を立てなかったところ→減点」という制度にしたところです。
対策を立てると原資が増えるわけではなく、対策を立てないと原資を減らすということにしたことで、結局は現場の負担に転嫁しただけとなりました。
厚生労働省の調査では、多くの病棟で身体拘束の実施率は10%未満にとどまる一方、一部には実施率が50%を超える病棟も存在することが明らかになっており、病院ごとの取り組みの差が大きいことも課題として指摘されています。
どうしても不可能な現場が存在していることが、この実施率の差になっているものと考えられます。「対策するのにお金を出します」にしないと、すべての病院に広げることは難しいでしょう。
拘束の前に試すべきこと:段階的なアプローチ
国際的なガイドラインが推奨する対応は、いきなり「拘束する・しない」の二択ではなく、段階を踏んだアプローチです。
第一段階:環境を整え、原因を取り除く
- 時計・カレンダーを見えるところに置く、眼鏡・補聴器を使う(見当識の支援)
- 痛み・便秘・尿が出ていないなど、不快感の原因を探して取り除く
- 昼間は明るく、夜は静かに——睡眠と覚醒のリズムを整える
- せん妄を悪化させやすい薬剤(一部の睡眠薬・胃薬など)を見直す
第二段階:声かけによる対応(言語的デエスカレーション)
興奮している患者に対して、まず言葉で落ち着いてもらう関わりを試みます。
多くのケースで5分以内に効果が現れるとされ、スタッフ全員がこの技術を身につけることが望ましいとされています。
第三段階:それでも危険が及ぶ場合のみ、最後の手段として
第一段階・第二段階を試みても改善しない場合、いきなり拘束や薬物投与に進むのではなく、さらにいくつかの選択肢を挟むことが国際的な指針で推奨されています。
- 刺激の少ない静かな部屋への一時的な移動
- 音楽を流す、温かいタオルで清拭する、重みのある毛布をかけるなど、感覚的に落ち着かせる工夫
- 可能であれば一時的に1対1に近い形で見守る
- 注射ではなく、まず飲み薬を試す
これらをすべて試みても改善せず、患者自身や周囲の人に、今まさに危害が及ぶ危険がある場合に限り、身体拘束や薬物投与が検討されます。この際も、
- 必要最小限の範囲・最短時間にとどめる
- 状態が落ち着き次第、速やかに解除する
- 血栓予防(弾性ストッキングなど)を併用する——ただしそれでもリスクが完全になくなるわけではない
という原則が求められます。実際に日本の病院でも、身体拘束を行う場合は医師と看護師を含む多職種で検討し、「切迫性」「非代替性」「一時性」という3つの要件をすべて満たす場合に限るという考え方(3要件)が広く採用されています。
2026年には、集中治療室における身体拘束の使用方針について、「制限的な運用(本当に必要な場合のみ使用する方針)」と「これまでの一般的な運用」を直接比較した無作為化比較試験も報告されています。
こうした研究が行われること自体が、「拘束を最小限にとどめる」という方針が、単なる理想論ではなく、実証的に検証されるべき臨床上の課題として扱われる段階に入ったことを示しています。

薬で対応すればいいのでは?という疑問について
「身体的に縛るくらいなら、薬で落ち着かせた方がよいのでは」と考える方もいるかもしれません。しかし、ここにも医学的に重要な誤解があります。
大規模な臨床研究では、抗精神病薬を使用しても、せん妄そのものの持続期間や重症度は改善しないことが示されています。
また、せん妄予防を目的とした薬物投与(抗精神病薬・特定の鎮静薬など)は、多くの集中治療の専門学会において「全患者へのルーチンな使用は推奨しない」とされています。
唯一、明確な適応となるのはアルコールやベンゾジアゼピン系薬剤の離脱症状に伴うせん妄で、この場合はベンゾジアゼピン系薬剤が有効です。
それ以外の一般的なせん妄に対しては、薬剤は「非薬物的な対応が奏功しない場合の、最後の選択肢」という位置づけにとどまります。

今後の理想像:何が変われば拘束は減らせるのか
エビデンスと現場の現実、両方を踏まえた上で、今後目指すべき方向性を整理します。
①制度による後押しの継続
診療報酬による減算・加算という仕組みは、病院経営者に「拘束を減らす体制づくり」への投資を促す、現実的で有効な手段です。
実際に、身体拘束ゼロを達成した病院が全国的なネットワークを作り、知見を共有する動きも始まっています。こうした制度的な後押しは、今後も強化されていく方向にあります。
個人的には、まず原資がないと始まらないので減点性よりも加点性にすべきではないかと思います。
②「人手」に頼らない代替手段の普及
マンパワー不足がすぐに解消しない以上、人手を増やさずに実現できる対策の普及が現実的な次の一手です。
- 離床・転倒を検知するセンサーマットやナースコール連動システムの活用
- 低床ベッドや衝撃吸収マットの設置による、転倒時の被害軽減
- 点滴ルートを工夫し、そもそも抜きにくい・気づきにくい位置に配置する
- 刺激の少ない静かな環境(個室・感覚室的なスペース)をあらかじめ用意しておく:常時人が付き添う必要がある「1対1の観察」とは異なり、環境そのものを整えておくことは、人員を追加せずに実施しやすい対策です
③「拘束ゼロ」をゴールにしない意識づけ
拘束を減らす取り組みで先進的な病院の多くが強調しているのは、「拘束をなくすこと」自体が目的ではなく、「患者を一人の人として尊重するケア」を追求した結果として拘束が減るという考え方です。
数値目標だけを追いかけると、記録上は拘束をゼロにしていても、実質的に同様の行動制限(過鎮静など)が行われる「見えない拘束」に置き換わるリスクもあるため、理念の共有が欠かせません。
ご家族に知っておいていただきたいこと
ご家族が入院中に身体拘束を受けている、または提案された場合、以下の点を確認する権利があります。
- 拘束の理由と、代替手段を検討した経緯についての説明を求める
- 同意書の内容と、いつまで続く見込みかを確認する
- 拘束中の様子(皮膚の状態、精神的な変化など)について、定期的に報告してもらう
拘束は現在、医師と看護師を含む多職種での検討・同意書の取得・診療記録への記載が制度上求められている行為です。
ご家族から質問することは、決して「医療者を疑う」ことではなく、患者にとって最善のケアを一緒に考えるための、正当な関わりです。
実は、ご家族の関わりそのものが、せん妄の予防・改善に科学的な効果を持つことも報告されています。
早期のリハビリテーションとご家族の参加を組み合わせた複合的な介入は、それらを行わない場合と比べて、せん妄の発症を大きく減らす効果があったとする研究があります。
具体的には、以下のような関わりが推奨されています。
- 本人が使い慣れた写真や小物を持ち込み、病室に置く
- 「今日は何日で、ここは病院ですよ」といった、見当識を保つための声かけをする
- 短時間でもよいので、できるだけ頻繁に面会に訪れる
「付き添いたくても仕事があって難しい」というご家族も多いと思います。毎日長時間である必要はなく、短時間でも定期的な関わりを持つこと自体に意味があると理解していただければと思います。
それでもせん妄になってしまう状況はあります。その時に上記のような拘束をせざるを得ない場合が出てきます。
拘束はさせないように家族側からすることは可能です。ただしその選択をするならば、せん妄になった場合、「夜間でもずっと付き添う」ということを受け入れる強い覚悟が必要になります。
まとめ
- 身体拘束の効果は科学的に実証されておらず、血栓症・肺炎・PTSDなど、むしろ害が上回ることが研究で示されている
- それでも拘束が続く背景には、日本の病院の深刻な人手不足という構造的な制約があり、看護職員は2025年時点で最大27万人不足すると推計されている
- 2024年度の診療報酬改定で、拘束の最小化が経営に直結する制度上の義務となったが、「対策をすれば加点」ではなく「対策をしなければ減点」という仕組みのため、現場の負担に転嫁されやすいという課題も残る
- 拘束は「切迫性・非代替性・一時性」の3要件を満たす場合に限る、段階を踏んだ末の最後の手段であるべき
- 「薬で対応すればよい」という考え方にも医学的な誤解があり、薬物療法もまた最小限・最後の選択肢として位置づけられている
- ご家族の面会・声かけ自体にも、せん妄を防ぐ科学的な効果が示されており、専門職だけでなくご家族もケアの一員として関わることができる
- 今後は制度的な後押し・省人化技術の普及・ご家族の関わり・理念の共有が同時に進むことが理想
身体拘束は、医療現場が「安全のため仕方なく」続けてきた側面がある一方、今やそのあり方そのものが医学的にも制度的にも見直される時代に入っています。
そしてそれは、医療者だけの課題ではありません。ご家族として、また将来の患者として、この変化を知り、できる範囲で関わっていくことには大きな意味があります。
24時間365日対応可能|オーダーメイド介護サービス【イチロウ】参考資料
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- Sonneville R, Couffignal C, Sigaud F, et al. Restrictive vs Liberal Physical Restraint Strategies in Critically Ill Patients. JAMA. 2026.
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- American Psychiatric Association. Seclusion or Restraint. 2022.
- 厚生労働省「身体拘束ゼロ作戦推進会議」身体拘束ゼロへの手引き(平成13年3月)
- 日本看護倫理学会「身体拘束予防ガイドライン」(2015年)
- 厚生労働省 2024年度診療報酬改定「身体的拘束最小化の基準」関連資料
- 厚生労働省「医療従事者の需給に関する検討会 看護職員需給分科会 中間とりまとめ」(2019年11月、2025年需給推計)
- 厚生労働省「看護師等(看護職員)の確保を巡る状況」(有効求人倍率データ)
- 一般社団法人日本精神科看護協会「精神科病院の看護職等による行動制限最小化の取組実践」(第3回精神保健医療福祉の今後の施策推進に関する検討会資料、令和6年10月)
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